前回の記事『量子力学入門①:量子論の幕開けとプランク定数 h』では、古典物理学を揺るがした「二つの雲(黒体放射と光電効果)」、そしてプランクとアインシュタインによる「エネルギーの量子化」の発見について解説しました。
しかし、ミクロな世界の謎はこれで終わりではありませんでした。
光の謎が解明されてもなお、「原子がなぜ崩壊しないのか」という、さらに深刻な矛盾が物理学者たちを悩ませていました。
本記事では、古典論の限界を突き破るために導入された「ボーアの原子模型」から、「物質も波である」という驚くべき発見、そして「不確定性原理」による観測の限界に至るまで、量子力学がどのようにして原子の謎を解き明かし、現代物理学の基礎を確立したのかを、時系列に沿って解説します。
第1章:ボーアの原子模型:電子軌道の量子化
① ラザフォードの限界:原子の謎
プランクとアインシュタインによって「エネルギーの量子化」と「光の粒子性」が確立された後、物理学の次の焦点は「原子の構造」に移りました。
1911年、アーネスト・ラザフォードは、原子が「中心にある非常に小さな原子核」と、その周りを回る「電子」から構成されているという「太陽系モデル」を提唱しました。
このモデルは画期的でしたが、当時の古典物理学の法則を当てはめると、二つの決定的な矛盾が生じました。
①-1. 安定性の矛盾:原子はなぜ崩壊しないのか?
- 古典論の予測(期待値)
- 電磁波を放出し続け、電子は原子核に衝突し、原子は崩壊するはずだった。(約 \(10^{-8}\) 秒で)
- 実際の物理的結果
- 原子は安定しており、崩壊しない。
- 矛盾のポイント
- 加速度運動する電子が、なぜ電磁波(エネルギー)を放出しないのかが説明できなかった。
古典的な電磁気学によれば、電荷を持った電子が円運動(加速度運動)すると、電磁波を放出し続けなければならない。
①-2. スペクトルの矛盾:光の色が飛び飛びである理由
- 古典論の予測(期待値)
- 電子が原子核に近づくにつれて、光の振動数(色)は連続的に変化するはずだった。
- 実際の物理的結果
- 実際の原子(水素など)は、特定の色(飛び飛びの振動数)の光しか放出しない(線スペクトル)。
- 矛盾のポイント
- エネルギー(光)が連続的ではないというプランクの量子化の概念が、原子の構造でも必要とされていた。
古典論の前提によれば、原子から放出されるエネルギー(光)は連続的な値をとるはずだった。
② ボーアの二つの仮説
1913年、デンマークの若き物理学者ニールス・ボーアは、ラザフォードの原子モデルが抱える二つの致命的矛盾(安定性の矛盾、スペクトルの矛盾)を解決するため、プランクとアインシュタインの量子論を原子に適用する大胆な二つの仮説を導入しました。
②-1. 第一仮説:定常状態の存在
ボーアは、「古典論の予測に反して原子が安定している」という矛盾に対し、以下の仮説で論理的な回避策を提示しました。
特定の条件を満たす電子の軌道が存在し、電子がその軌道(定常状態)にある限り、電磁波を放出せず、エネルギーも失わない。
この仮説によって、電子は原子核に衝突することなく、原子は安定して存在できるという、実際の物理的結果(①-1.の矛盾)を仮説の枠組み内で説明できるようになりました。
古典物理学の法則(電磁波を放出すべき)は、これらの定常状態の軌道内では適用されないと宣言されました。
②-2. 第二仮説:量子条件と振動数条件
次に、ボーアは「古典論の予測に反して原子が飛び飛びの光を放出する」という矛盾を、二つの条件で解決する理論的根拠を提示しました。
- 量子条件:軌道が量子化される
電子が定常状態をとれる軌道は無数にあるのではなく、特定のものだけに限られます。その条件は、電子の角運動量が、プランク定数 \(h\) を含むある量の整数倍になることでした。- この「角運動量の量子化」により、電子の軌道(エネルギー)は飛び飛びの値しか取れないことになり、ラザフォードモデルにプランクの量子化が組み込まれました。
- 振動数条件:光の放出・吸収のルール
原子が光を放出したり吸収したりするのは、電子が定常状態の軌道間を「ジャンプ」するときだけだとしました。この条件を「振動数条件(またはボーアの振動数条件)」(※1) と呼びます。- この仮説により、放出される光のエネルギー \(h\nu\) は、軌道のエネルギー差として決定され、エネルギー差が飛び飛びの値しかとらないため、放出される光の色 (\(\nu\)) も飛び飛び(線スペクトル)になるという論理的説明が可能になりました。

※1: 振動数条件を数式で表すと、次の通りです。
\(\mathbf{h \nu = E_n – E_m}\)
この式は、「電子がエネルギー準位をジャンプしたときのエネルギー差が、放出・吸収される光のエネルギーに等しい」ことを示しています。
- \(\mathbf{h \nu}\): 光のエネルギー
- 放出(または吸収)される光子のエネルギー。アインシュタインの光量子仮説で用いられた光子のエネルギーの式と同じ形です。
- \(\mathbf{E_n}\): ジャンプ前のエネルギー
- 電子が最初にいた定常状態(軌道)のエネルギー準位(\(n\) は量子数)。
- \(\mathbf{E_m}\): ジャンプ後のエネルギー
- 電子が移動した後の定常状態(軌道)のエネルギー準位(\(m\) は量子数)。
- \(\mathbf{E_n – E_m}\): エネルギーの差分
- 軌道間のエネルギーの差(量子化された階段の高さ)。
②-3. 仮説は仮説
以上の仮説によって、二つの矛盾を解決するための説明はつきます。
しかしながら、あくまでも仮説は仮説であって、それが実証されない限りは矛盾を打ち破ったことにはなりません。
そこで、次のセクション「③ ボーアの偉業」では、これらの仮説が実際に水素原子の線スペクトルを完全に計算して予測できたという、理論の成功(実証)について解説します。
③ ボーアの偉業:水素原子の線スペクトル
ボーアの仮説の最大の成功は、水素原子から放出される光の飛び飛びの色(線スペクトル)を、数式で完全に予測できたことです。
これは、彼の仮説が単なる「ごまかし」や「詭弁」ではなく、ミクロな世界の真理の一端を捉えていたことを示しました。
③-1. 実験結果との驚異的な一致
水素原子の光のスペクトルは、19世紀からバルマーやリュードベリといった研究者によって実験的に発見され、以下の「リュードベリの公式」で記述されていました。
\(\displaystyle\frac{1}{\lambda} = R \left( \displaystyle\frac{1}{n^2} – \displaystyle\frac{1}{m^2} \right)\)
- \(\lambda\): 光の波長
- \(R\): リュードベリ定数(実験から得られた値)
- \(n\): 終状態の量子数
- 電子が移動した後の軌道の番号(内側の軌道)を表す整数
- \(m\): 始状態の量子数
- 電子が最初にいた軌道の番号(外側の軌道)を表す整数
しかし、この「リュードベリの公式」は経験則から導き出されたものであり、「なぜそうなるのか」は不明でした。
ボーアは、自分の二つの仮説(定常状態、振動数条件)と古典的な力学計算を組み合わせることで、この経験則を理論的に導き出すことに成功しました。
ボーアの理論から導出された式は、リュードベリの経験則と完全に一致しており、さらに、理論から計算される定数 \(R\) の値が、実験によって求められた実際のリュードベリ定数 \(R\) の値とピタリと一致したのです。
③-2. 量子論の勝利と限界
このボーアの偉業は、以下の点で物理学史における量子論の決定的な勝利となりました。
- 古典論の完全否定: 古典物理学では絶対に説明不可能だった現象が、量子仮説を導入することで解決されました。
- 量子数の物理的実体: プランクの式で登場した「量子数 \(n\)」が、ここでは「電子の軌道の番号」という物理的な意味を持つことが初めて示されました。
しかし、ボーアのモデルには限界もありました。
彼のモデルは電子が一つしかない水素原子のスペクトルは説明できましたが、電子が二つ以上ある複雑な原子のスペクトルを正確に計算することができなかったからです。
ただし、ボーアのモデルが「量子論への過渡期」における最高の成果であることは間違いなく、後述する真の量子力学の誕生を促しました。
第2章:物質波の発見「波動と粒子の統一」
① ド・ブロイの衝撃的な仮説
前回の記事(量子力学入門①)で、光が波としての性質(干渉、回折)と、粒子としての性質(光電効果)という二重性を持つことを学びました。
1923年、フランスの物理学者ルイ・ド・ブロイは、学位論文の中でこの二重性の概念をさらに推し進め、世界を根底から覆す仮説を提唱しました。
光だけでなく、電子や陽子、さらには私たちが日常で触れるすべての「物質」も、波の性質を持っているのではないか?
①-1. ド・ブロイの物質波仮説
ド・ブロイは、アインシュタインの特殊相対性理論と光量子仮説を結びつけることで、粒子の運動量 \(p\) と、その粒子に伴う波の波長 \(\lambda\) を関係づける以下の数式を導き出しました。
\(\mathbf{\lambda = \displaystyle\frac{h}{p}}\)
- \(\mathbf{\lambda}\): ド・ブロイ波長(粒子に伴う波の波長)
- \(\mathbf{h}\): プランク定数
- \(\mathbf{p}\): 粒子の運動量(質量 \(\times\) 速度)
この仮説は、「粒子」が持つはずの運動量が、「波」が持つはずの波長によって決定されることを示しており、物質の波動性(物質波)という、それまでの物理学ではあり得なかった概念を導入しました。
①-2. ボーア模型の理論的根拠
ド・ブロイはさらに、この物質波仮説をボーアの原子模型に適用しました。
- 着想: 電子の定常状態の軌道は、電子が持つ「物質波」が、ちょうど「定常波」(弦楽器の弦のように、波が安定して振動する状態)として存在できる整数倍の長さでなければならない。
この考え方から、彼はボーアが「とりあえず仮定した」に過ぎなかった「角運動量の量子化条件」を、物質が波であるという物理的必然性から理論的に導出しました。
ボーアの仮説は、ここにきて初めてより深い「物理的概念」 に基づく 説明の道筋が整ったのです。
まさに、量子論の概念的快挙と言って良いでしょう。
② 物質波の実験的証明
ド・ブロイが提唱した「物質波」は、あまりに奇抜なアイデアであったため、当初は多くの物理学者から受け入れられませんでした。
しかし、彼の仮説からわずか3年後の1926年から1927年にかけて、二つの決定的な実験により、電子が実際に波として振る舞うことが証明されました。
②-1. デヴィソン=ガーマー実験(アメリカ)
アメリカの物理学者デヴィソンとガーマーは、金属(ニッケル結晶)に電子線を当て、反射・散乱される電子の角度と強さを測定しました。
- 古典論の予測: 電子は粒子であるため、金属表面から不規則に散乱されるはずでした。
- 実験結果: 電子は、特定の角度でのみ強く反射され、その散乱パターンは、X線(波)を同じニッケル結晶に当てたときに観測される「回折パターン」と完全に一致しました。
回折は光や音などの波特有の現象であり、この実験は「電子」という粒子が、回折現象を起こす波として振る舞っていることを示しました。
②-2. G.P.トムソンの実験(イギリス)
ほぼ同時期に、遥か海を越えたイギリスでも、とある実験が実施されていました。
物理学者ジョージ・パジェット・トムソン(J.J.トムソンの息子)は、薄い金属箔に電子線を当てる実験を行い、同様に美しい同心円状の回折パターンを観測しました。
J.J.トムソンは、電子が「粒子」であることを発見してノーベル賞を受賞しましたが、その息子のG.P.トムソンは、電子が「波」であることを証明してノーベル賞を親子二代で受賞するという、量子力学史の象徴的出来事の一つとなりました。
②-3. 物質波の真の勝利
これら二つの実験により、ド・ブロイの物質波仮説が実験的に証明され、「光の二重性」が「物質の二重性」へと拡張されました。
こうして、すべての物質(電子、陽子、原子、そして私たち自身)は、「粒子としての側面」と「波としての側面」を併せ持つという量子力学の根幹が、ついに確立されたのです。
第3章:ハイゼンベルクの原理による新たな物理学の確立
① 波動関数と確率解釈の誕生
ド・ブロイが「物質は波である」という概念を持ち込み、それが実験で証明されたことで、物理学者は「電子」のような粒子を波として記述するための新しい数学的道具を必要としました。
①-1. シュレーディンガー方程式の導入
1926年、オーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーは、ド・ブロイの物質波の概念を基に、粒子の波の振る舞いを記述する方程式を提案しました。
これが、量子力学の根幹をなす「シュレーディンガー方程式」です。
この方程式は、粒子の運動を、古典的なニュートンの運動方程式のように位置と速度で記述するのではなく、「波動関数 \(\mathbf{\psi}\) 」という、空間と時間によって変化する波の形で記述します。
- 古典物理学: 粒子の正確な位置を予測する。
- シュレーディンガー方程式: 粒子の波動関数 \(\mathbf{\psi}\) の変化を計算する。
\(\mathbf{\psi}\) は、「プサイ」と読みます。
①-2. ボルンの確率解釈
シュレーディンガー方程式の導入後、ひとつの重要な疑問が残っていました。
「波動関数 \(\mathbf{\psi}\) は、一体何を意味するのか?」という根本的な疑問です。
当初、シュレーディンガーは \(\mathbf{\psi}\) を電子そのものの「ぼやけた存在」を表す物理的な波だと考えましたが、これはすぐに困難に直面します。
そこで、ドイツの物理学者マックス・ボルンが、革命的な「確率解釈」を提唱しました。
波動関数 \(\mathbf{\psi}\) の物理的意味は、 「粒子の存在確率」 である。
\(\mathbf{\psi}\) の絶対値の二乗 (\(\mathbf{|\psi|^2}\)) は、空間の特定の微小領域で粒子が発見される確率に比例する。
この解釈により、量子力学は「決定論」を捨て、「確率論」を受け入れることになりました。
シュレーディンガー方程式は、「電子がどこにいるか」を断定するのではなく、「電子がどこにいる可能性が高いか」を計算する道具となったのです。
② 不確定性原理:観測の限界
古典物理学では、粒子の位置と運動量(速さ)は、原理的には同時に、いくらでも正確に測定できると考えられていました。
しかし、物質が「波」であることが証明され、その存在が「確率」でしか記述できなくなったことで、古典的な常識は崩れ去りました。
②-1. 観測行為による影響
1927年、ドイツの物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクは、電子のようなミクロな粒子を観測しようとすると、観測者(測定器)の行為そのものが粒子の状態を不可避的に乱してしまうという結論に達しました。
マクロな世界では無視できた「観測による影響」が、ミクロな世界では無視できないほど大きくなるため、「測定により対象を乱さない」という古典物理学の前提が根本的に崩壊するのです。
次のような例でそれぞれを対比すると分かりやすいかもしれません。
- 古典的な粒子: 野球のボールなど大きな物体に光を当てても、光のエネルギーは無視できるほど小さいため、影響を与えません。
- ミクロな粒子: 粒子を見ようと光(光子)を当てると、その光子自体がエネルギーと運動量を持つため、電子に衝突し、電子の運動量(速さ)を変化させてしまいます。
②-2. 不確定性原理の成立
ハイゼンベルクは、この観測行為の不可避的な影響を数学的に定式化し、量子力学の最も有名な原理の一つである不確定性原理を打ち立てました。
粒子の「位置」を正確に決定しようとすればするほど、その粒子の「運動量」は不確かになり、逆もまた然りである。
これは観測の技術的な限界ではなく、自然の根源的な法則であり、位置の不確かさ (\(\mathbf{\Delta x}\)) と運動量の不確かさ (\(\mathbf{\Delta p}\)) の積は、必ずプランク定数 \(h\) に関係するある一定値以上になることを示しています。
\(\mathbf{\Delta x \cdot \Delta p \geq \frac{h}{4\pi}}\)
この原理により、「未来は完全に予測できる」という古典的な「決定論」は否定され、量子力学は「確率論」に基づく新しい物理学として確立されました。
まとめ
① 量子力学革命の完了と世界観の変化
本記事では、古典物理学が解決できなかった原子の謎に対し、以下のような画期的な概念が導入され、最終的に現代物理学の基礎が確立された歴史を辿りました。
- ボーアの原子模型(1913年): 電子の軌道を量子化(飛び飛びの値に限定)することで、原子の安定性と線スペクトルを説明しました。
- ド・ブロイの物質波(1923年): 光だけでなく、物質も波の性質を持つという仮説を提唱し、その後の実験(デヴィソン=ガーマー、G.P.トムソン)によって実験的に証明されました。
- シュレーディンガー方程式とボルンの解釈(1926年): 物質の波の振る舞いを記述する方程式が生まれ、その波動関数 \(\psi\) が「粒子の存在確率」を表すという、確率論的な世界観を受け入れました。
- ハイゼンベルクの不確定性原理(1927年): 観測行為が粒子に不可避な影響を与えるため、粒子の位置と運動量を同時に正確に知ることは原理的に不可能であるという、自然界の根源的な限界が示されました。
これらの発見により、我々の世界観は根本から変わりました。
- 決定論から確率論へ: 宇宙の未来は完全に計算できるという古典論の夢は破れ、「確からしさ」が物理学の根幹となりました。
- 粒子から二重性へ: すべての物質が「波」と「粒子」の両方の顔を持つという、ミクロな世界の奇妙で、しかし美しい二重性が明らかになりました。
ボーア模型から始まった量子力学の革命は、原子の世界を深く理解するための「新しい物理学」を確立しました。
この新しい物理学は、すべての現代科学技術(エレクトロニクス、光科学、材料科学など)の土台となる理論的・数学的基盤を築いたのです。

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