以前の記事で、アインシュタインが「量子もつれ」の奇妙な性質を「幽霊のような遠隔作用 (Spooky Action at a Distance)」と呼んだ現象として紹介しました。
この有名な言葉は、量子コンピューティングの歴史を象徴しています。
なぜなら、この分野は、当初アインシュタインが「おかしい、ありえない」と否定した量子力学の非現実的な側面こそを計算機として利用しようという、壮大な皮肉から始まったからに他なりません。
いま世界で繰り広げられている量子バトルは、突如として始まったものではありません。
それは、20世紀初頭に「光の粒」や「原子の振る舞い」をめぐって科学者たちが繰り広げた、100年以上にわたる物理学の哲学的な大論争の暫定的な終着点なのです。
本記事では、時間軸を遡り、この夢の計算機が「なぜ、いつ、どのように」して「計算機科学」と結びつき、現代の技術競争へと発展したのか、その知られざるドラマを紐解きます。
目次
第1章:量子力学の誕生とアインシュタインの疑問(〜1950年代)
このフェーズは、量子コンピュータが発明される前の、「計算機科学」と「量子力学」という二つの異なる分野がそれぞれ独立して進歩・発展していた時代です。
量子力学の誕生(20世紀初頭)
量子コンピューティングの物語は、1900年代初頭、マックス・プランク(Max Planck)やアルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)らによって、原子や光が「飛び飛びの不連続なエネルギー(量子)」を持つことが発見されたことから始まります。
この新しい物理学は、デンマークの物理学者であるニールス・ボーア(Niels Bohr)やドイツのヴェルナー・カール・ハイゼンベルク(Werner Karl Heisenberg)らによって発展し、世界を「確率的で不確定なもの」として捉え直しました。
この時期に原子が同時に複数の状態を取りうるという、非直感的な概念である「重ね合わせ」(Superposition)の理論が確立しました。
しかし、このような非確定的な世界観は、アインシュタインにとって受け入れがたいものでした。
彼は、この新しい物理学を最後まで批判し続け、「神はサイコロを振らない」という有名な言葉や、以前の記事で触れた「幽霊のような遠隔作用」という言葉を残し、量子力学の不完全性を主張し続けました。
量子コンピューティングとは、まさにこのアインシュタインが「おかしい」と否定した「重ね合わせ」や「遠隔作用」(現代では「量子もつれ」と呼ばれる)の性質を、計算機として利用するという壮大な挑戦なのです。
量子情報理論の萌芽:情報と物理の最初の結びつき(1950年代)
量子力学が確立された後、約半世紀にわたって、その理論は原子や素粒子の挙動を研究する純粋な物理学として発展しました。
一方、同時期に情報科学の分野では、クロード・エルウッド・シャノン(Claude Elwood Shannon)が情報理論を確立し、情報量をビットで測るという古典コンピュータの基礎が築かれました。
この時期、二つの領域(量子力学と情報科学)は完全に分断されていました。
量子力学はあくまで「自然界の物理現象」であり、計算や情報に利用できるとは誰も考えていなかったのです。
しかし、ここで最初の橋渡しを試みたのが、チャールズ・ベネット(Charles Bennett)らの一部研究者です。
彼らは、情報処理の物理的な限界を研究する中で、「情報が消去される際(不可逆な処理が行われる際)」には必ず熱が発生するという、物理的な制約があることを示しました。
この段階では、まだ量子コンピュータのアイディアは生まれていませんが、「情報とは物理的な実体である」という認識が生まれたことが、後の量子情報科学の礎となりました。
第2章:夢の計算機の発想と理論の確立(1980年代〜1990年代)
このフェーズでは、長らく分断されていた「物理学」と「情報科学」が劇的に結びつき、「量子コンピュータ」という概念が具体的に提唱され、後のショアのアルゴリズムに繋がる理論的基盤が築かれます。
「量子コンピュータの父」の登場(1980年代)
「情報とは物理的な制約を受ける」という認識が生まれた後、1980年代初頭に二人の物理学者が相次いで、その制約を逆手に取る大胆なアイディアを提唱しました。
彼らは、現代で「量子コンピュータの父」と呼ばれる偉人たちです。
- リチャード・ファインマン (Richard Feynman):
- 1981年、ノーベル賞物理学者のファインマンは、「古典的なコンピュータでは、量子力学的な現象を正確にシミュレーションするのは原理的に難しい」と指摘しました。そして、「もし、情報処理そのものを量子力学の法則に従って行えば、自然界の挙動を正確に計算できる量子シミュレーターを作れるのではないか?」と提唱しました。これが、量子コンピューティングという概念の最初の明確な発想とされています。
- ポール・ベニオフ (Paul Benioff):
- ほぼ同時期に、理論物理学者のベニオフは、量子力学の法則に従って情報を処理する理論的なモデル(量子チューリングマシン)を発表しました。これにより、ファインマンの提唱した「夢」が、理論的に「実現可能な計算モデル」として確立されました。
量子情報理論の確立(1990年代初頭)
量子コンピュータのアイディアは生まれたものの、その計算をどう役立てるかという具体的な理論はまだありませんでした。
この空白を埋めたのが、二人の天才数学者によるブレイクスルーです。
- デビッド・ドイッチュ (David Deutsch):
- 1985年、オックスフォード大学のドイッチュは、量子チューリングマシンの理論に基づき、「古典的なコンピュータよりも速く計算できる量子アルゴリズム」が存在することを理論的に証明しました。
- リチャード・ジョッサ (Richard Jozsa):
- ドイッチュと共に、量子コンピュータが古典コンピュータでは不可能なタスクを解くことができるという、量子加速の概念を具体的な例(ドイッチュ=ジョッサのアルゴリズム)で示しました。
世界を変えた二大アルゴリズムの誕生(1994年、1996年)
そして、現代の量子コンピューティング熱狂の決定的な引き金となったのが、以前の記事でも紹介した二つのキラーアルゴリズムの発見です。
本記事でも簡単に紹介します。
- ピーター・ショア (Peter Shor):
- 1994年、ベル研究所の数学者ショアが、素因数分解を古典よりも圧倒的に速く解く「ショアのアルゴリズム」を発表しました。これにより、インターネットのセキュリティの根幹を支えるRSA暗号が将来的に破られる可能性が示され、各国政府や企業が量子コンピューティングを「無視できない脅威」として認識し始めました。
- ロブ・グローバー (Lov Grover):
- 1996年、同じくベル研究所のグローバーが、非構造化データの検索を高速化する「グローバーのアルゴリズム」を発表しました。古典コンピューターでの検索は、最悪の場合、すべてのデータを一つずつ見る必要があります (N回の試行)。グローバーのアルゴリズムは、この処理時間をN
(ルートN) まで劇的に短縮します。
- 1996年、同じくベル研究所のグローバーが、非構造化データの検索を高速化する「グローバーのアルゴリズム」を発表しました。古典コンピューターでの検索は、最悪の場合、すべてのデータを一つずつ見る必要があります (N回の試行)。グローバーのアルゴリズムは、この処理時間をN
この二つのアルゴリズムは、量子コンピューターが「単なるシミュレーター」ではなく、「古典を凌駕する汎用計算機」になり得ることを証明し、理論から「技術開発競争」へと歴史を動かす決定打となったのです。
第3章:技術競争の勃発と現代へ
第2章で「理論」が確立された後、世界がどのように動き出し、現代の「量子バトル」へと発展していったのでしょうか。
この章では、「理論から工学へ」の転換と、各国政府・企業の競争勃発に焦点を当てます。
初期の試作機と「NISQ時代」の幕開け
キラーアルゴリズムの発見により、量子コンピュータは「いつか実現する夢」から「早期に実現すべき技術」へと変わりました。
- 初の実現:
- 1990年代後半に入ると、核磁気共鳴(NMR)を利用した初期の量子コンピュータが、わずか数個の量子ビットで理論を実証し始めました。この出来事は、量子コンピュータが単なる机上の空論ではないことを世界に示しました。
- 「NISQ時代」の到来:
- 2000年代以降、技術は飛躍的に進歩し、超伝導回路やイオントラップといった現代の主要な流派が登場します。しかし、前回の記事で見たように、これらのマシンはエラー訂正が不十分です。この「ノイズが多い中間的な量子コンピュータ」の時代は、「NISQ(ニスク:Noisy Intermediate-Scale Quantum)」時代と呼ばれ、実用化を目指す現在の競争の舞台となっています。
D-Waveの登場と競争の多様化
理論的な量子ゲート方式(汎用的な計算を目指す方式)の開発が進む一方で、2007年にD-Wave Systems Inc.(※1)が商用機を発表し、大きな議論を呼びました(※2)。
D-Waveは、用途を最適化問題に特化した量子アニーリング方式を採用し、特定の課題では古典コンピュータを凌駕する(とされる)速度を示しました。これは、量子コンピューティングの可能性が、汎用計算と特化計算という二つの異なる路線で進み始めたことを示しています。

※1: 「D-Wave Systems Inc.」は「D-Wave Quantum Inc.」の当時の社名です。2022年にSPACとの合併を通じて上場した際に、社名が「D-Wave Quantum Inc.」に変更されました。
※2:D-Waveの量子アニーリング方式は、当時主流だった量子ゲート方式(汎用型)とは根本的に異なるため、「これは本当に量子コンピュータと呼べるのか?」という学術的な議論を巻き起こしました。D-Waveが主張する性能(古典コンピュータを凌駕する速度)に対しても、懐疑的な科学者による検証が多数実施され、性能に関する議論が長期間にわたり続きました。
Google、IBMによる技術公開と「量子バトル」の勃発
2010年代に入ると、国家や巨大テック企業が本格的に参入し、量子コンピューティングは「科学」から「地政学的戦略」へと変貌します。
- クラウド公開:
- IBMは、自社開発の量子コンピュータをクラウド経由で世界中の研究者に公開する戦略をとり、開発コミュニティを一気に拡大させました。一般ユーザーもアクセス可能なサイトが存在しています。
- 量子超越性の主張:
- Googleは、2019年に量子超越性を主張し、技術的な優位性を世界に知らしめました。
- 投資の加速:
- このような時代の流れにより、各国政府は「量子技術は次世代の安全保障と経済を左右する」と認識し、日本、アメリカ、中国、EUなどが巨額の国家予算を投じて、現代の「量子バトル」と呼ばれる熾烈な技術開発競争が勃発しました。
まとめ
本記事では、量子コンピュータが単なる現代の技術トレンドではなく、100年以上にわたる科学と哲学の壮大な物語の上に築かれていることを紐解きました。
物語は、アルベルト・アインシュタインが「幽霊のような遠隔作用」と否定した、量子力学の奇妙な性質から始まりました。その後、ファインマンとベニオフらが、その非現実的な性質を逆に利用し、「夢の計算機」というアイディアを提唱しました。
そして、ショアとグローバーという二人の天才がキラーアルゴリズムを発見したことで、量子コンピュータは「理論」から「現実の技術競争」へと変貌し、現代の「量子バトル」へと繋がったのです。
私たちは今、その歴史の転換点、「NISQ時代」の真っ只中にいます。
次回予告:未来を読み解く「日本の現在地」
これまでの3回の記事で、私たちは量子コンピュータの力(第1回記事)、競争の現状(第2回記事)、そして歴史的な背景(本記事)という、グローバルな視点での知識基盤を築きました。
しかし、この熾烈な「量子バトル」において、我らが日本はどこで戦っているのでしょうか?
次回は、いよいよ焦点を日本に移します。理化学研究所、東京大学、そして富士通やNECといった巨大企業が、「量子技術大国」を目指してどのような戦略と技術で世界に挑んでいるのか。その最新のロードマップと具体的な取り組みを徹底解説します。


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