量子プログラミングを学ぶ上で、避けて通れない難関の一つが「複素数」です。
量子ビットの状態は、私たちが日々長さや重さとして計測などに使用する実数だけでなく、虚数(\(i\))を含む複素数で記述されます。
なぜ計測可能な実数だけでは量子状態を記述できないのか。
その理由は、量子の世界が「抽象的な回転」と「波の位相(角度のズレ)」によって成り立っているからです。
この目には直接見えない量子状態の内在的な角度を表現するために、虚数 \(i\) は不可欠な最高の道具なのです。
この記事では、虚数 \(i\) の定義を学び、量子ビットの「回転の言語」である複素数の世界に入りましょう。
目次
第1章:虚数 \(i\) の定義
① \(i\) の誕生:虚数単位を導入する理由
量子状態を記述するためには、実数だけでは表現できない「角度」や「位相」の情報が必要です。
この情報を数として扱うために、私たちは「実数で表現できない問題」に向き合わなければなりません。
例えば、数学の世界で「二乗してマイナスになる数」を考えたとき、実数だけでは解決できませんでした。
この「解決不可能な問題」に答えを出すことが、新しい数である虚数単位 \(i\) を生み出す動機となったのです。
次のセクションでは、この実数の限界から、量子計算の扉を開く虚数単位 \(i\) がどのように定義されたのかを見ていきましょう。
② 実数の限界:二乗してマイナスになる数
実数(Real Number)の世界には、二乗してマイナスになる数は存在しません。
\(x^2 = 4 \quad \rightarrow \quad x = \pm 2 \quad (\text{実数})\)
しかし、高等数学や、本シリーズの最終目標である量子力学の世界では「実数の限界を超える数」が必要になりました。
\(x^2 = -1\)
この式を満たす新しい数を導入することが、虚数単位 \(\mathbf{i}\) を生み出す動機となりました。
虚数単位 \(\mathbf{i}\) は、たった一つの定義によって生まれます。
この \(i\) は、私たちの日常の計測には登場しないImaginarily Number(想像上の数)の頭文字から来ています。
量子計算では、この「目に見えない角度のズレ」を扱うために、この \(i\) が不可欠となります。
第2章:複素数という新しい数の世界
① 複素数とは? 実数と虚数のコラボレーション
虚数単位 \(i\) の誕生により、我々人類は実数と虚数を組み合わせた新しい種類の数を扱えるようになりました。
これが複素数 (Complex Number) です。
例えば、\(3 + 4i\) という複素数では、実部が \(3\)、虚部が \(4\) です。
量子ビットの状態 \(|\psi\rangle = \alpha|0\rangle + \beta|1\rangle\) の \(\alpha\) や \(\beta\) は、この \(a+bi\) という複素数なのです。
実部と虚部の2つの座標軸(直交座標)で位置を特定する表現方法を、数学では直交座標形式と呼びます。
② 複素数平面:数直線から「回転の場」へ
実数は、一直線の数直線上だけで表現できます。
しかし、複素数 \(\mathbf{z = a + bi}\) は、実部 \(a\) と虚部 \(b\) の2つの成分を持つため、平面で表現する必要があります。
これが複素数平面(またはガウス平面)です。
- 実軸(横軸): 実部 \(a\) の値を表す軸です。従来の数直線と同じ役割です。
- 虚軸(縦軸): 虚部 \(b\) の値を表す軸です。虚数単位 \(i\) を掛けた成分を表現します。
この複素数平面上では、複素数 \(a+bi\) は、座標 \((a, b)\) を持つ一つの点として、あるいは原点からその点へ向かう矢印(ベクトル)として表現されます。
この「矢印(ベクトル)」としての表現が、量子計算では非常に重要になります。
矢印の長さが確率を、矢印の角度が位相(回転)を示すからです。
ここで言う「矢印(ベクトル)」は、後に線形代数で学ぶ「量子状態ベクトル」の成分を視覚化するための土台です。
両者は、抽象的な機能は同じですが、数学的には別物です。
③ 虚数 \(i\) がもたらす \(90^\circ\) の回転
前のセクションで、複素数が平面上の「矢印(ベクトル)」として表現できることを学びました。
この「ベクトル」に対し、虚数単位 \(\mathbf{i}\) を掛けるという計算が、量子計算にとって極めて重要な意味を持ちます。
虚数 \(i\) の定義は \(\mathbf{i^2 = -1}\) でしたね。
これを複素数平面上のベクトルの操作として考えると、驚くべき幾何学的な事実が浮かび上がります。
- 実数 1 からスタート: 複素数平面の実軸上、点 \(\mathbf{1}\) にベクトル(グラフのA)があります。
- \(\mathbf{i}\) を掛ける: \(1 \times i = \mathbf{i}\)
- ベクトルは、実軸の 1 から虚軸の \(i\) へ移動します(グラフのB)。これは原点を中心に\(90^\circ\) の回転を意味します。
- さらに \(\mathbf{i}\) を掛ける: \(i \times i = \mathbf{i^2 = -1}\)
- ベクトルは、虚軸の \(i\) から実軸の \(-1\) へ移動します(グラフのC)。これはさらに \(90^\circ\)(合計 \(180^\circ\))の回転を意味します。

つまり、量子計算の位相操作の鍵となる虚数単位 \(\mathbf{i}\) の掛け算は、複素数平面上の矢印を原点周りに \(90^\circ\) 回転させる操作に他なりません。
この「複素数が持つ回転の性質」が、量子ゲート操作において位相や状態を操作する上での本質なのです。
④ 複素数の極形式:長さと角度で回転を表現する
実は、この複素数を\(a\)と\(b\)という実部・虚部で表現する形式(直交座標形式)の他に、「長さ」と「角度」だけで表現する形式があります。
これを極形式と呼びます。
この極形式は、次の記事で扱うオイラーの公式の土台です。
オイラーの公式は、上記の式の括弧内にある \(\mathbf{\cos \theta + i \sin \theta}\) を、量子計算で非常に扱いやすい指数関数の形 \(\mathbf{e^{i\theta}}\) へと書き換えるための究極のツールなのです。
まとめ
① 本記事で学んだことと量子計算への応用
本記事を通して、量子計算の土台となる複素数について学習しました。
- 虚数 \(i\) の役割: \(\mathbf{i^2 = -1}\) で定義される虚数 \(i\) は、複素数平面上では\(90^\circ\) の回転を意味すること。
- 複素数の本質: 複素数 \(\mathbf{z = a + bi}\) は、単なる数ではなく、「長さ(確率)」と「角度(位相)」を持つ矢印(ベクトル)であること。
- 極形式: 複素数を「長さ \(r\)」と「角度 \(\theta\)」だけで表す極形式 \(\mathbf{z = r (\cos \theta + i \sin \theta)}\) が、回転の表現に最適であること。
「回転を角度で表現する」スキルは、量子ゲートが量子状態の位相(角度)を操作する上でのカギとなります。
② 次のステップ:「オイラーの公式」へ
今回の記事の最後に登場した極形式は、次の記事で扱うオイラーの公式へ直結します。
\(\mathbf{\cos \theta + i \sin \theta \quad \rightarrow \quad e^{i\theta}}\)
次回「大人の学び直し数学⑥:オイラーの公式が「回転」を生む仕組み」では、複雑な表現がシンプルな形で置き換えられる数学的な美しさと実用性を解説します。


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